2008年07月02日

学力の最後の段階

学力の最後の段階は、むしろ「個々の特殊な知識を如何に多く、且つ刻明に、且つ自信を以て蓄わえているか」ということによって優劣が決するのだ、ということを銘記して勉強しましょう。
人生のありとあらゆる隅々、否、時とすると、ありもせずあらゆりもせぬ隅々まで、一応全部楊子の先でつつき廻すこと――これを称して語学というのです。


関口存男『趣味のドイツ語』(著作集ドイツ語学編10、40頁)
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2007年04月01日

ゲーテ

Es ist nicht genug zu wissen,
man muß auch anwenden;
es ist nicht genug zu wollen,
man muß auch thun.


知るだけでは足りない、
応用もしなければならない、
(応用しようと)思うだけでは足りない、
実行しなければならない。

青木一郎『わかりやすいドイツ語の構文と解釈』(郁文堂)の最後に載っていた。
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2006年04月19日

Schopenhauer, Aphorismen zur Lebensweisheit

Die gewöhnlichen Leute sind bloß darauf bedacht, die Zeit zuzubringen; wer irgendein Talent hat, - sie zu benutzen.
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2006年03月04日

ゲーテ『箴言と省察』より

Bonus vir semper tiro.

Ein guter Mann bleibt immer Rekrut.

よき人はつねに初心者である。
(『ゲーテ全集第13巻』潮出版社、408頁)
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2006年02月28日

ヒルティ『幸福論 第二部』、「教養とは何か」(岩波文庫)より

Viel lesen gehört eben heutzutage notwendig zur allgemeinen Bildung. Von einem ganz gebildeten Menschen kann man eigentlich verlangen, daß er im Verlauf eines längern Lebens alles g a n z Gute in der Literatur selbst gelesen und daneben von allen Zweigen des menschlichen Wissens sich wenigstens einen gewissen allgemeinen und richtigen Begriff verschafft habe, so daß ihm ,,nichts Menschliches ganz fremd'' ist.

多読ということは、実際今日では、一般的教養にぜひとも必要である。完全な教養をそなえた人になるには、本来次のようなことが要求せられる。すなわち、比較的長い生涯を送った人であれば、その間に、真に優れた文学作品はのこらず自分で読んでおり、なおそのほか、人間の知識のあらゆる部門について少なくともある程度の一般的な正しい概念を得ていて、「人間に関することで全然知らぬものはない」くらいになっていることである。

ちなみに今日はヒルティの誕生日だ。
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2006年02月23日

カール・ヒルティ『眠られぬ夜のために 第一部』(草間平作、大和邦太郎訳、岩波文庫)より

つねに金銭に関して安らかな生活を送りたいと願うならば、たとえどんなに少額でも、その収入の一定の歩合を善行の目的のために使うことから始めねばならない。(四月十日)

なお、この文章の後でヒルティは「・・・なにかの団体や施設に寄附すれば、それでもう大きな善行をしたつもりでいるのだ。これは全くのごまかしであって・・・」とも述べている。
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ゲーテ『西東詩集 ことわざの書』より

Laß dich nur in keiner Zeit
Zum Widerspruch verleiten,
Weise fallen in Unwissenheit,
Wenn sie mit Unwissenden streiten.

(West-Östlicher Divan, Buch der Sprüche)

どんな場合にも
口論なんぞする気になるな。
賢い人でも無知なものと争うと、
無知に陥ってしまう。
(高橋健二編訳『ゲーテ格言集』新潮文庫)
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2006年02月19日

ゲーテ『エピグラム風に』より

       Lebensregel
Willst du dir ein hübsch Leben zimmern,
Mußt dich ums Vergangne nicht bekümmern;
Das wenigste muß dich verdrießen;
Mußt stets die Gegenwart genießen,
Besonders keinen Menschen hassen
Und die Zukunft Gott überlassen.


処世のおきて
気持ちよい生活を作ろうと思ったら、
済んだことをくよくよせぬこと、
滅多なことに腹を立てぬこと、
いつも現在を楽しむこと、
とりわけ、人を憎まぬこと、
未来を神にまかせること。
(高橋健二編訳『ゲーテ格言集』新潮文庫)
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2006年02月13日

ゲーテ『穏和なクセーニエン』第2集より

Wie das Gestirn,
Ohne Hast,
Aber ohne Rast,
Drehe sich jeder
Um die eigne Last.


星のように
急がず、
しかし休まず、
人はみな
おのが負いめのまわりをめぐれ!
(『ゲーテ格言集』高橋健二編訳、新潮文庫)
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2006年02月05日

ラ・ロシュフコー『箴言集』より

Nous nous tourmentons moins pour devenir heureux que pour faire croire que nous le sommes.
(La Rochefoucauld, Maximes)

われわれは、幸せになるためよりも、幸せだと思わせるために、心を砕いている。
(ラ・ロシュフコー『人生の知恵 省察と箴言』(吉川浩訳、角川文庫)
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2006年01月28日

エッカーマン『ゲーテとの対話』より

Die Überzeugung unserer Fortdauer entspringt mir aus dem Begriff der Tätigkeit; denn wenn ich bis an mein Ende rastlos wirke, so ist die Nature verpflichtet, mir eine andere Form des Daseins anzuweisen, wenn die jetzige meinem Geist nicht ferner auszuhalten vermag.
(Johann Peter Eckermann: Gespräche mit Goethe, Mittwoch den 4. Februar 1829.)

私にとっては、われわれの霊魂不滅の信念は、活動という概念から生まれてくるのだ。なぜなら、私が人生の終焉まで休むことなく活動して、私の精神が現在の生存の形式ではもはやもちこたえられないときには、自然はかならず私に別の生存の形式を与えてくれる筈だからね。
(エッカーマン『ゲーテとの対話(中)』山下肇訳、岩波文庫、54頁)

高橋健二編訳『ゲーテ格言集』(新潮文庫)、76頁
久保勉訳編『ケーベル博士随筆集』(岩波文庫)、115頁
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2006年01月22日

ショーペンハウアー「読書と書物について」より

Ich aber danke dem Schicksal, daß es mich schon in der Jugend auf ein schönes Epigramm von August Wilhelm Schlegel hingeführt hat, welches seitdem mein Leitstern wurde:

Leset fleißig die Alten, die wahren eigentlich Alten!
Was die Neuen davon sagen, bedeutet nicht viel.

(Arthur Schopenhauer, ÜBER LESEN UND BÜCHER)

しかしわたしは、すでに青年時代にA.W.シュレーゲルの美しい格言詩にひきあわせてくれた運命に感謝している。その後、この詩はわたしの導きの星になったのである。

努めて古人を読め。本格的な古典を読め。
新人がそれについて語るところは、たいした意味はない。
(秋山英夫訳)

あとから出た版では詩の部分が以下のようになっている。

Leset die Alten! versteht die eigentlich ältesten Alten!
Was die Modernen davon preisen, bedeutet nicht viel.
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2006年01月21日

アーノルド・ベネット『文学趣味』より

Buy without any immediate reference to what you read. Buy! Surround yourself with volumes, as handsome as you can afford.

読むつもりがあらうが、無からうが、そんなことにお構ひなしに買ひ給へ。買ふことである。財政の許す限り、どつさりと君の周囲を書物で埋め給へ。
(アーノルド・ベネット『文学趣味』(山内義雄訳、岩波文庫)
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2006年01月19日

ニーチェ『アンチクリスト』より

>>Trachtet am ersten nach dem Reiche Gottes und nach seiner Gerechtigkeit, so wird euch solches alles zufallen<<(Matthäus 6,33). Solches alles: nämlich Nahrung, Kleidung, die ganze Notdurft des Lebens. Ein Irrtum, bescheiden ausgedrückt... (Friedrich Nietzsche, Der Antichrist)

「汝ら、まづ神の国と其義とを求めよ。さらばすべて此等のものはなんじらに加へらるべし。」(マタイ伝六ノ三十三) ――すべて此等のものとは、つまり食物、衣服、生活の全必需品ということである。・・・ごくひかえ目に言っても、これは間違いである。(ニーチェ『アンチクリスト』潮文庫、西尾幹二訳)
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2006年01月18日

ショーペンハウアー「読書と書物について」より

>Repetitio est mater studiorum.<[Die Wiederholung ist die Mutter der Studien.]Jedes irgend wichtige Buch soll man sogleich zweimal lesen.
(Arthur Schopenhauer, ÜBER LESEN UND BÜCHER)

「反復は学問の母である」と言われる。すべて重要な書物は何によらず、すぐ二度読むべきだ。(秋山英夫訳)
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2006年01月11日

ショーペンハウアー「読書と書物について」より

Es wäre gut Bücher kaufen, wenn man die Zeit, sie zu lesen, mitkaufen könnte, aber man verwechselt meistens den Ankauf der Bücher mit dem Aneignen ihres Inhalts.
(Arthur Schopenhauer, ÜBER LESEN UND BÜCHER)

書物を買いもとめるのは結構なことであろう。ただしついでにそれを読む時間も、買いもとめることができればである。しかし多くのばあい、我々は書物の購入と、その内容の獲得とを混同している。(斎藤忍随訳、岩波文庫)
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2006年01月09日

二兎を追う者は一兎をも得ず

『ギリシア・ローマ名言集』から

lepores duos qui insequitur, is neutrum capit.
(Publilius Syrus)

同学社の『ドイツ・西欧ことわざ・名句小辞典』を見ると

uno in saltu apri non capiuntur duo.
一回の跳躍で二匹の猪は捕らえられない
(出典が書いてないので『ギリシア・ラテン引用語辞典』で調べたら、Plautusという喜劇作家の「カシナ」という劇中に出てくる言葉らしい。「カシナ」は西洋古典叢書の『ローマ喜劇集2』に収録されている。)

ドイツ語だと

Wer zwei Hasen auf einmal jagt, fängt keinen.

または

Man soll nicht zwei Hasen auf einmal jagen.

フランス語だと

Qui court deux liévres n'en prend aucun.

白水社の『フランス故事ことわざ辞典』によると

Il ne faut pas courir deux lièvres à la fois.

同じような意味で「欲の熊鷹股裂くる」ということわざがあるらしい。熊鷹が2頭の猪を同時に捕まえようとして股が裂けてしまったという話だそうだ。プラウトゥスと同じく猪がネタになっているのは面白い。


関係ないけど
古い本には付箋を絶対に貼ってはいけない。『ギリシア・ラテン引用語辞典』に付けた付箋をはがしたら紙まで一緒にはがれてしまった!
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2005年07月10日

デール・カーネギー『道は開ける』より

みじめな気持ちになる秘訣は、自分が幸福であるか否かについて考える暇を持つことだ。
(ジョージ・バーナード・ショー)

The secret being miserable is to have the leisure to bother about whether you are happy or not.

デール・カーネギー『道は開ける』第6章の終わりに引用されている言葉。
何か悩み事があるときは忙しくして自分に悩む暇を与えないこと。
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2005年06月18日

ゲーテ『格言と反省』より

今日買った『心をささえる一言』を拾い読みしていたら、ゲーテの次のような言葉が目に入った。

生活はすべてつぎの二つから成り立っている。
したいけれど、できない。
できるけど、したくない。
(河盛好蔵編『心をささえる一言』178頁、高橋健二編訳『ゲーテ格言集』(新潮文庫、161頁)からそのまま引用したらしい)

なるほど、と思って原文を探してみたら

Das ganze Leben besteht aus
Wollen und Nicht-Vollbringen,
Vollbringen und Nicht-Wollen.

(Maximen und Reflexionen Insel版915, DTV版1107)


潮出版社のゲーテ全集(第13巻375頁)の訳は

人の全生涯は
求めて達成せず、
達成して求めず
の二つから成り立つ。

Insel版、DTV版の注を見るとローマ信徒への手紙7章18節~を参照せよとある。Insel版にはその部分のドイツ語訳が引用されている。

Das Gute gewollt habe ich wohl, es vollbracht aber nicht.
Denn das Gute, das ich will, das tue ich nicht, sondern das Böse, das ich nicht will, das tue ich.
(ルター訳ではない)

善をなそうという意志はありますが、それを実行できないからです。
わたしは自分の望む善は行わず、望まない悪を行っている。
(新共同訳)


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2005年05月31日

ベンジャミン・フランクリン「富に至る道」より

買う必要もないものを買ったら最後、やがてそのうちに、なくてはならぬものまで売り払わねばならぬことになる。
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2005年05月19日

ヘルダリーン『ヒュペーリオン』(野村一郎訳、講談社 世界文学全集20)より

幾千年のあいだに人間たちが為し、考えたあらゆることも、恋の一瞬にくらべたら何であろう?

Was ist alles, was in Jahrtausenden die Menschen taten und dachten, gegen Einen Augenblick der Liebe?
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アルベール・カミュ『シーシュポスの神話』(清水徹訳、新潮文庫)より

そのときぼくはこう言わねばならぬ、重要なのはもっともよく生きることではなく、もっとも多くを生きることだと。
alors je dois dire que ce qui compte n'est pas de vivre le mieux mais de vivre le plus.

もっとも多くを生きることとは、

自分の生を、反抗を、自由を感じとる、しかも可能な限り多量に感じとる、これが生きるということ、しかも可能なかぎり多くを生きるということだ。
Sentir sa vie, sa révolte, sa liberté, et le plus possible, c'est vivre et le plus possible.
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2005年03月08日

オルテガ・イ・ガゼット『大衆の反逆』(神吉敬三訳、角川文庫)より

人間を最も根本的に分類すれば、次の二つのタイプに分けることができる。第一は、自らに多くを求め、進んで困難と義務を負わんとする人々であり、第二は、自分に対して何らの特別な要求を持たない人々、生きるということが自分の既存の姿の瞬間的連続以外のなにものでもなく、したがって自己完成への努力をしない人々、つまり風のまにまに漂う浮標のような人々である。
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2005年03月01日

パスカル『パンセ』(津田穣訳、新潮文庫)より

しなければならないことを思い出そうとするならば何かきらいなことをしようとおもえばよい。

Mais pour s'en souvenir, il faut se proposer de faire quelque chose qu'on hait.

プランシュヴィック版104、ラフュマ版937、セリエ版763

enは前文にあるnotre devoirを指す。
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2005年02月24日

高島善哉『社会科学入門』(岩波新書)のあとがきより

青年においては書物を読むということはそれ自体生活することである。だから生きようとする意欲をもたない青年には読書への情熱というものが湧いてこないかもしれない。

あとがきにある「青年時代の読書について」という短いエッセイより。
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